オーギュスト・ロダンの名作「カレーの市民」を構成する6体のひとつ、「ジャン・ド・フィエンヌ」が、荘厳な雰囲気の博物館前にあって、世界的なパブリックアートをじっくりと鑑賞することができます。
作品データ Data
作品名 Title | ジャン・ド・フィエンヌ(カレーの市民より) |
作家名 Artist | オーギュスト・ロダン Auguste Rodin |
制作年 | 1886年 |
寸法(H×W×D;cm) | ー |
備考 |
作品について About
ジャン・ド・フィエンヌは6人のうち最も若い人物で、「カレーの市民」のジャン・ド・フィエンヌは衣服を纏っていますが、この作品は習作だったため裸体で制作されました。
ジャン・ド・フィエンヌの像だけは組み合わせるように作られたものではなく、後で制作されたと思われるヴァリアント(異作)であるため、台座の形が異なっている。ーポーラ美術館WEBサイトより
《カレーの市民》とよばれる群像彫刻は、イギリスとフランスが対立した百年戦争における、ある英雄たちの物語が主題となっているが、この物語についてロダンは中世後期の歴史学者、ジャン・フロワサールの『年代記』をよりどころとした。
1347年、フランス北部のカレー市を包囲した英国王エドワード3世は、この市の6人の名士が人質となり、城塞の鍵を渡すならば包囲を解こうと提案した。
この時、ユスタッシュ・ド・サン=ピエールほか6人が死を覚悟してエドワード3世の陣営に赴いたが、命を奪われることなく解放された。
フランス人の勇敢さとイギリス人の寛大さを象徴するこの伝説的な話をカレー市は記念碑の主題に選び、1884年にロダンに制作を依頼した。ーポーラ美術館WEBサイトより
年代記を読んで感動したロダンはウスターシュ一人の代わりに6人の市民がそれぞれの絶望と苦悩のうちに、市の鍵を手に、首に縄を巻いて裸足で市の門を出て行く群像を作り上げた。
英雄の華々しい身振りを期待していた市当局はロダンの感動的な人間像を理解できずにこれを拒否し、カレー市で除幕式が行なわれたのは完成後7年経ってからだった。ー国立西洋美術館WEBサイトより
処刑されることも覚悟の上、市民を守るために自ら志願した若い青年の苦悶の表情を、オーギュスト・ロダンはリアリズムの極限まで突き詰め作品に落とし込んでいます。
イングランド王のエドワード3世は、クレシーの戦いで勝利を収めた後カレーを包囲、フランスのフィリップ6世は、なんとしても持ちこたえるようにカレー市に指令した。しかしフィリップ王は包囲を解くことができず、飢餓のためカレー市は降伏交渉を余儀なくされた。エドワード王は、市の主要メンバー6人が自分の元へ出頭すれば市の人々は救うと持ちかけたが、それは6人の処刑を意味していた。エドワード王は6人が、裸に近い格好で首に縄を巻き、城門の鍵を持って歩いてくるよう要求したのである。
カレー市の裕福な指導者のうちの一人、ウスタシュ・ド・サン・ピエール(Eustache de Saint Pierre)が最初に志願し、すぐに5人の市民、ジャン・デール(Jean d’Aire)、ジャック・ド・ヴィッサン(Jacques de Wissant)、ピエール・ド・ヴィッサン(Pierre de Wissant)、ジャン・ド・フィエンヌ(Jean de Fiennes)、アンドリュー・ダンドル(Andrieu d’Andres)が後に続いた[1]。 彼らはズボンまで脱いだのである。 サン・ピエールを先頭に、やせ衰えた6人は城門へと歩いた。 まさにこの、敗北、英雄的自己犠牲、死に直面した恐怖の交錯する瞬間をロダンは捉え、強調し、迫力ある群像を作り出したのである。ーWikipediaより
この作品と同じ作品が静岡県立美術館のロダン館と名古屋のヤマザキマザック美術館に、6体揃った群像「カレーの市民」は国立西洋美術館と静岡県立美術館のロダン館、第二試作がポーラ美術館に収蔵されています。
設置場所 Location
神戸市中央区 神戸市立博物館 前